「変化を厭う私たち」の脆弱性
ホルムズ海峡の封鎖が長引き、世界的な物価の高騰やさまざまな商品の供給不安があっという間に世界に蔓延しました。1970年代のオイルショックや1990年代の湾岸危機など、世界は何度も同じ経験を繰り返してきたはずです。それなのに、世界はいまも多くの石油由来製品を湾岸諸国に依存し続け、SGDsの目標年である2030年まであと3年あまりしかないにもかかわらず、脱炭素の取り組みがほとんど進んでいないことが露わになりました。こんな脆弱な世界の現実に、私は驚愕しています。原油の供給源の多様化や、代替製品への置き換えようという動きは、なぜ進まないのでしょうか。
その背景には、私たちの「変化を厭う習性」があるかもしれません。いちどうまくいった経験や定められたルールがあると、私たちはそれを疑うことなく踏襲し、従い続けます。例えば日本において、災害時の指定避難所は今も多くが「学校の体育館」です。これは明治政府が決めたことで、江戸時代まで災害時の避難先は寺でした。明治政府は寺を幕府の末端組織として統治から排除し、新しい地域の核として学校を整備しました。明治天皇の写真を飾り、村の運動会を校庭で行い、選挙が始まると投票所も体育館に設けました。戦後も学校は地域の核として存在感を持ち続けます。しかし近年は人口減少で統廃合も進み、学校がない集落も増えています。そもそも体育館は子どもが体育をする場所であって、人が生活する場所としては適切ではありません。
しかし私たちは他の場所を避難所にしようという発想にはなかなか至らず、体育館の環境を多少改善して「みんなで頑張ろう」とします。社会の変化に応じて避難のあり方そのものを変えよう、という声は高まりません。オイルショック以降の世界も同じかもしれません。おじさんにハーフパンツの着用を認めて冷房の設定温度を多少高くしたところで、基本的な課題の解決にはなりません。私たちはもう以前とは条件が異なる世界にいるのですから、新しい世界に合わせた生き残り方を編み出す必要があります。
慣れ親しんだやり方は安心感がありますし、失敗しても過去の人に責任を押しつけることができますので、私たちはどうしても変化を厭うのでしょう。一方で、社会がどうにも行き詰まり、ある日突然、オセロのようにパタパタと一気に変化するのもこれまでの常です。そろそろ社会の持続可能性が危うくなってきました。私たちが次の世紀も生き残るために、脆弱な世界から脱却する「変化を厭わない心構え」だけは持ち始めたいところです。
ダイバーシティ研究所 代表理事
田村太郎