サイクルかスパイラルか
私が人生で初めて読んだ小説は、小松左京さんの「日本沈没」でした。あらすじは多くの方がご存じかと思います。日本列島が沈没するのではないかという予測と、そんなことは起きないという楽観論が巻き起こる中、燕などの渡り鳥が来なくなるといった自然現象から「日本は沈没する」と警鐘を鳴らす老人が登場します。それから私は毎年、燕を見かけると、ああ、今年も日本は沈没しないのだなと安堵するようになりました。
早朝から出張に出ることが多い私には、夜明けがだんだん早くなるこの時期は、また新しい1年がやってきたなと少しわくわくします。同じ季節がめぐり来ること、その場に居合わせることの安心感は、他の何にも例えがたいように思います。一方で、同じように日が長くなっても気温は年々高くなり、5月でも猛暑日を記録するようになりました。これではサイクルというよりはスパイラルです。同じ季節がめぐってくると思っていたのに、以前とは異なる場所にたどり着いてしまった感じでしょうか。自然への対峙の仕方も、これまでとは異なる発想が必要となっているようです。
「日本沈没」のなかでもうひとつ、強烈に記憶に残っていることがあります。政府の担当者が各国を訪問して、日本国民の受入れを依頼して回るものの、ことごとく断られるという場面です。日本側の事情は理解できても、実際にはどの国も首を縦に振らないのです。このまま行き場を失った日本国民は流浪の民となってしまうのか。当時小学生だった私は、小説とはいえ、ページを繰るのが怖くなりました。
季節にサイクルがあるように、経済にもサイクルがあります。景気が冷え込むと職を求めて人は移動します。災害や戦争もまた人の移動を促します。季節のサイクルが温暖化を経てスパイラルとなり、気候変動の大きな波となって世界を変えているように、経済のサイクルもいまやスパイラルとなり、かつて経験したことのないような貧富の格差の拡大や経済の混乱を引き起こしています。
日本も明治期や戦後しばらくは海外に移民を送り出していました。いまは受け入れ側にいても、また次のサイクルがめぐってきて、人を送り出す側になるかもしれません。人の送出しと受入れもさまざまな要因が重なりながら、季節のサイクルや潮の満ち干のように変化を繰り返します。いまは外国人を受け入れている日本ですが、長い歴史のサイクルの中でものごとをとらえ、自分たちが送出し側になった場合に他国にどのように受入れてもらいたいのか、かつて送出しの経験のある国だからこそ、1周スパイラルアップした視点から政策を議論したいものです。
ダイバーシティ研究所 代表理事
田村太郎