多文化共生
大阪も暑さが和らぎ、金木犀の香る季節となりました。思えばこの夏は、国際協調や相互理解を掲げた大阪・関西万博の開催中に、外国人受入れをめぐる排外的な主張が広まるという、なんとも理解しがたい夏でした。このほど閉幕した大阪・関西万博のコンセプトは「いのち輝く未来のデザイン」でしたが、「多様でありながらひとつ」という会場のテーマも掲げられていました。海外に目を向けても排外的な主張は勢いを増しているように思われ、「多様でありながらひとつ」になるということは、国の内外問わず簡単ではないようです。
こういうときだからこそ、私は「多文化共生」という概念を改めて大切に主張したいと考えます。「多文化共生」という言葉は、「ダイバーシティ研究所」の前身のひとつである「多文化共生センター」が、1995年の阪神・淡路大震災で被災した外国人への支援活動を機に団体の名称に掲げ、概念を広めてきました。これまでは「在日外国人問題」と言われてきた外国人との共生をめぐる課題へのアプローチについて、あるべき社会のあり方を指し示す言葉を用いた点は、今考えれば斬新なものであったと思います。
「多文化共生」は2000年頃までは主に市民団体が使ってきましたが、2000年代半ばから経団連や総務省が使い始めると、目の前の問題を見えなくする理想論ではないか、という批判の声が上がります。「多文化共生を問う」と銘打ったイベントも目にするようになりました。一方で、総務省が2006年3月に「多文化共生推進プラン」を策定し、自治体に対して計画的・体系的な施策の推進を促したことで、「多文化共生」は自治体施策として浸透していくようになりました。
そして今日、「多文化共生」に対する風当たりが強くなっています。急増する外国人への戸惑いが排外主義への共感につながるなか、いまいちど、「多文化共生」の概念を整理しなければならないと感じています。「多文化共生」と「外国人支援」はイコールではありません。互いのちがいを受け入れ、ともに変化しながら新しい社会を形成していくのが「共生」社会です。一方的にどちらかの文化を押しつけるのでは「同化」であり、そのような社会に進歩はありません。日本に来た外国人に日本の文化を伝えるとともに、日本の側もまた異なる文化を取り入れながら新しい社会を形成していく。「多様でありながらひとつ」は、「多文化共生」とも共通するテーマなのです。
ダイバーシティ研究所 代表理事
田村太郎