“マジョリティの不安”が分断する社会
今年は関東大震災から100年の節目ということで、9月1日の前後にいくつか取材や原稿の執筆依頼を頂きました。そこで私は増しつつある「不安」について、語ったり書いたりしました。
震災直後の報道や警察の資料などから、「井戸に毒を入れた」というデマを信じた人々が朝鮮人などを殺害したことは紛れもない事実と思われます。関東大震災のことを授業で学んだこどもの頃、私は、当時はラジオ放送もまだ始まっておらず、正しい情報が伝わらなかったことが背景にあるのだろう、いまは正しい情報を誰もが手に入れられるのだからもうあのようなことは起きないだろう、と感じたことを覚えています。技術の進歩は私たちを正しい方向に導いてくれる、人々が互いのことを正しく理解すれば、デマを信じて他者を殺すことなどないだろう、と。
しかし現実はどうでしょうか。残念なことに、災害が起きるたび、見たくもないひどい卑語がSNSに飛び交っています。阪神大震災のときも外国人に関するデマはありましたが、インターネットの発達やスマホの普及により、悪質なデマやフェイクニュースはさらに拡大させているようです。なぜ私たちの社会はこうも進化できないのでしょうか。
内外を問わず、マイノリティの権利が保障されればされるほど、従来のマジョリティは自らの権利や地位が脅かされるのではないかと不安になり、より排他的・保守的になっているように思います。またその傾向は景気の後退期や政治の混乱期により高まっており、また景気の後退や政治の混乱がマイノリティの不安をさらに高め、マイノリティへの排斥を助長するスパイラルが加速して行くようにも見えます。いま首都直下地震が起きたら、100年前と同じことか、さらにひどいことが起きてしまうのではないかと不安でなりません。
ダイバーシティ研究所は2007年に設立し、ささやかながら多様性が尊重される社会を作っていこうと努力を積み重ねてきました。この間、少しはマイノリティの存在や権利に社会の目が向けられ、互いのちがいを認めあい、対等な関係を築こうとしながら共に生きていく社会に向けて、少しは成果も感じられる気がしています。まだまだ「マイノリティの不安」の解消にはほど遠い状況ではあるものの、これから私たちは「マジョリティの不安」にもっと目を向け、その解消にも向き合っていく必要があるのではないでしょうか。
自分はマジョリティだと思っていた人が社会から転落したとき、その恨みの矛先はマイノリティに向かいがちです。マイノリティの権利を保障しても、マジョリティの権利が損なわれるわけではありません。さまざまな人と出会い、互いを認め合えるような機会をたくさんつくり、ちがいを受け入れつつともに生きていける社会を丁寧に作っていくことで、マイノリティの不安もマジョリティの不安も和らいでいく。そんな空気を醸成していきたいものです。
一般財団法人ダイバーシティ研究所 代表理事
田村太郎