人生に我慢を強いてはいけない
新年度はじめてのメールマガジンになります。このところ発行に間隔が空いてしまい申し訳ありません。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私は今期は3つの大学で授業を担当しています。このうち2つの大学では久しぶりに対面での授業となる予定でしたが、いわゆる第4波の襲来であっという間にオンラインに逆戻りとなりました。今後の推移を見守るしかないとはいえ、2年続けて「臨時の対応」というのは学生たちにあまりに申し訳ない。いずれ元に戻るからいまだけがまんして、と言い続けるのは無責任ではないでしょうか。いまの大学生はいましかないのですから、制約があるなかでも最大限の価値を提供する必要があると思います。
大規模災害では避難生活で命を落とされる方が少なくありません。「いまはしかたない」と不自由な避難生活を余儀なくされる中、心身に支障を来してしまうことで失われる命はあまりに惜しいです。これまでさまざまな形で避難所での生活の質を向上させる提案をしてきましたが、「みんながまんしているのに」「被災者を甘やかしたら長居される」と批判されることも多々ありました。支援の制度は多くが申請主義で、被災者自らが膨大な作業を強いられます。仮設住宅の入居もさまざまな条件が付けられたうえ、最後は「抽選」で入居順が決められます。世帯毎のご様子を元に役所で優先順位を付け、被災者に労力をかけることなく支援するような発想を持って臨めばよいものをと、これまで何度となく思ってきました。
コロナへの対応でも同様のセンスのなさが横行しており、めまいがします。自粛を要請して守らない人を監視するようなやり方は、政治の責任放棄でしかありません。なぜワクチン接種を住民からの予約制にするのかも理解に苦しみます。私の母は1日に200回も電話して、3日目にようやく予約できたと言ってました。条件付けをして優先順位を決め、順々に接種していけば何の問題もないはずです。結局政治は、自らが優先順位を付けることの責任を負うことから逃げているだけではないでしょうか。
仮設住宅に入居した人たちとお話しをする中で、建物は仮設でもここでの暮らしはけして「仮り」のものではなく、人生の貴重な時間であるということに気づきました。「すまいは仮設でも、人生に仮設なし」という視点で支援にあたろうと、東北や熊本で復興支援に臨む人たちによく話しました。コロナ禍のいま、まさに同じ発想が必要だと感じます。
人々が人生で我慢することをいかにして避けるかという視点から、具体的な目標を定め、最大限の努力することを政治に求めたいです。「いまだけの辛抱」「もう少し我慢すれば」という言葉は、支援する側が用いてはならないのです。